【巨人】入団拒否した日本ハムへの〝お詫び訪問〟続けた長野久義の誠意
2025年10月15日
巨人・長野久義外野手(40)が14日、今季限りでの現役引退を発表し都内のホテルで記者会見を行った。
長野と言えば、2009年に巨人へドラフト1位で入団するまで「特異な経路」をたどったことがファンや関係者の間でも
広く知れ渡っている。まず日大4年時の2006年、大学・社会人ドラフトでは日本ハムの4巡目指名を断り、ホンダに入社。
その2年後の08年にはロッテから2位指名を受けたものの巨人入りへの強い思いを貫き、再び入団を拒否した経緯がある。
この日の会見では、かつての2度の入団拒否について自ら触れ「ファイターズ、ロッテのスカウトの皆さんに
『指名してよかった』と思ってもらえるように、とにかく必死に成績を残すことだけを考えてやってきた野球人生でした。
周りの人たちに恵まれて、最高の野球人生でした」と語った。
続けて「ドラフトのことは言えないことも多い。今考えると大変だったと思います」とも述べ、
関わった人たちへの配慮も忘れなかった。
当時のドラフトは決して本人の希望だけでなく、親族やお世話になった関係者の意向が進路決定に影響を与える時代でも
あった。〝自らの運命〟の全てを受け入れて巨人入りを貫いた長野はプロ入り後、
自身への評価を反故(ほご)にしてしまった人たちへの配慮を常に忘れることはなかった。
それを象徴するかのように長野は巨人入り以降も交流戦で本拠地・札幌ドームに来るたびに練習中、
日本ハムベンチを必ず訪れ続けていた。
挨拶の相手は06年ドラフトで入団を拒否した時のスカウト部長・山田正雄GM(当時=現スカウト顧問)。
長野の表敬訪問を都度受けていた山田氏は「『毎回来なくていいよ』と言っているんだけど来てくれるんだよ」と回想し、
長野の〝気遣い〟をいつも喜んで受け入れていたという。
言葉だけではない行動を伴った誠意が〝結ばれなかった関係者〟との絆もつないでいた。
人格者の長野らしいエピソードと言える。
色々なお話を聞きますがやはり人格者だったのですね。知り合いからも長野さんのお話はよく聞きます